職歴

概要

独立系SIer(2年) → 無職(4ヶ月) → 広告代理店(2年8ヶ月) → フリーランス(6ヶ月) → 不動産テック企業(11ヶ月)→ フリーランス

独立系SIer時代

新卒で入社した会社です。

システム運用オペレータ時代

最初の1年はシステム運用オペレータをやっていました。

郊外型DCに常駐し、2交代制の12時間勤務(8:00〜20:00 or 20:00〜8:00)で某メガバンクの分散系システムを担当していました。

3勤3休の勤務体系で、日勤3日間→休み3日間→夜勤3日間→休み3日間→日勤3日間…という生活を送っていました。

夜勤は始めの半年間は問題なかったのですが、半年過ぎたあたりからかなりしんどくなり、ずっと睡魔と戦っていました。

仕事内容は手順書に沿って保守用のコマンドを叩いたり、JP1の画面を監視して、エラーを検知したらマニュアルに沿って開発にエスカレーションしたり、毎朝4時にプリンターから大量出力される帳票を回収してバックアップサイトに送付したりという感じです。

何のスキルも身につかなかったため、上長に相談して開発寄りの現場に異動になりました。

このままの職歴じゃ人生詰みかねないと考えていたため、入社からここの現場を去るまでに、「応用情報技術者」「CCNA」「ドットコムマスター アドバンス ダブルスター」「ITILファンデーション」の4つの資格を取りました。必死でしたね。

金融システムを扱うDCのためスマホ等の電子機器は持ち込み禁止かつDC内のPCではインターネットができない環境でして、参考書を持ち込んで、休憩時間や暇な時間帯(エラーが出ない時間帯)に資格勉強をしていました。

後日談ですが、このシステム運用業務はスクリプトによって自動化され、うちの会社は撤退となったようです。

SE時代

同銀行グループ内の開発元請け企業で、法人インターネットバンキングの内国為替周りを保守する部署に派遣となり、1年間SEをやりました。

配属が4月だったため、配属直後に情報セキュリティスペシャリスト試験を受けたのですが、午後2の点数が56点で不合格になり、人生に絶望したのを覚えていますw(あと4点で合格だった…)

勤務体系は日勤(8:40〜17:10)の完全週休2日制になり、働く場所は都市型DCになりました。

またDCかいという感じですが、このDCは普通のオフィスビルに近い構造をしており、サーバルームは特定のフロアにしかないため、サーバをいじる作業があるとき以外は金属探知機を通らなくて済むようになりました(スマホが使えるようになりました)。

また、インターネットも普通に使えるようになり、人権を手に入れました。

ただ、配属初日から「他店券残高」「貸越極度」「約定返済」など聞き慣れない言葉が高速で飛び交っていて、こんな環境でやっていけるのかと非常に不安になったのを覚えています。

結局、プライベートの時間を溶かして、銀行業務についてキャッチアップしました。

仕事内容はシステムの要件定義やクライアント(銀行員)との仕様調整、ベンダーコントロール、案件の進捗管理、手順書やテスト計画書等のドキュメント作成といった、ザ・SEな感じになりました。

手順書や運用への作業依頼書を作るときは、運用の現場を知っている人間として重宝されました。

サーバをいじるときに監視静観をかけるために運用側に電話をかけるのですが、同期が出たときはテンションが上がりましたね。

テスト環境のDNSの向き先がおかしかったり、これ自動化すべきでしょみたいなのが出てきたとき、部署内に技術ができる人が全くいなかったため、承認をとってBINDでDNSサーバを立ててドメインの向き先を捻じ曲げたり(確か、諸事情によりhostsの書き換えでは対応できず、DNSサーバを立てる必要がありました)、勝手にバッチファイルを書いて処理を自動化したりしました。

結局望んでいた開発系のスキルが身につくことはなかったため、退職に至りました。

無職時代

起業に興味があったのですが、友達のツテで同じマインドの友達と知り合いになったため、一緒に起業することにしました。

事業計画書を作って日本政策金融公庫に融資相談に行ったり、会社設立の方法や株式会社の仕組みについて勉強しました。

ただ、Webサービスを事業とする予定だったのですが、プロダクト開発の経験は卒業制作しかありませんでした。

卒業制作程度の知識レベルでは実務に耐えるシステムを作ることは難しいと理解していたため、Railsチュートリアルを始めました。

Railsチュートリアル自体は理解しつつ進められたのですが、プログラミングの実務経験なしで起業してコードを書いていくことに対して急に不安を感じたため、スキルを身につけるために、起業を諦めて、Webエンジニアとして転職することにしました。

プログラミングスクールに通うことを考えていた時期もあり、1校見学にも行ったのですが、私の場合は情報系学校卒で資格も取得していたため、第二新卒として転職することは難しくないだろうと考え、転職にしました。

広告代理店時代

アフィリエイト広告を主軸とする広告代理店に入社しました。

実務未経験でエンジニアとして雇っていただいた上に、年収は前職よりも上がりました。この会社には今も非常に感謝しています。

Java + Spring Boot + Vue.jsを用いて、スクラッチでいくつか社内システムを作りました。未経験の状態で0→1のシステム開発を経験できたのは大きかったです。

入社前からアフィリエイターとして月1万PVのブログを運用していた(アフィリエイトの成果は数えるほどでしたが)こともあり、アフィリエイターの立場に立って開発を進めることができました。

デバッグ方法などの開発スキルに限らず、タスクの優先度の付け方や、それは本当に必要かを疑い続ける姿勢など、非常に多くのことを学ぶことができました。

スクレイピングでデータを取ってくるためのクローラーを開発したり、アフィリエイトの単価を管理するシステムを要件定義から担当したり、部署の売上を管理するシステムを作ったり、70億レコードを超えるMySQLのテーブルに対してパフォーマンスを考慮したSQLを書いたり、AWSでインフラ構築したり、後輩社員を教育したり、本当に色んなことを任せてもらいました。

クローラーに関しては、このシステムによって複数の新規案件の受注が決まったため、社員総会で私達のチームが賞をいただきました。

また、在籍中に東証JASDAQ → 東証二部 → 東証一部と会社の市場変更があり、東京証券取引所に2回ほど行きました。オフィスも移転してめっちゃオシャレになりました。

会社のステージが変わっていくのを肌で感じることができ、非常に貴重な経験ができました。

ただ、社内システムの開発だと世の中を便利にできないという不満があり、かつ、自分で稼ぐ経験をしたい・幅広い経験を積みたいという理由から、退職に至りました。

フリーランス時代

独立直後は色んな技術書や税金関連などの本を読み漁りました。勉強が好きなので、仕事をせず勉強に集中できる環境は最高でした。

Java + Spring Bootはやりたいことがサクッとできないと感じていたため、開発環境をPHP + Laravelに移行しました。

知り合いの会社からPHPで開発の仕事を請けつつ、ツイ消し職人を2週間で作ってリリースしました。

ツイ消し職人はリリース5ヶ月目から一気に伸びて、今も安定した収益源となっています。

当時書いたもの → Note / Qiita

そのあと現職に転職するまでは、ツイ消し職人の保守開発・受託開発・某プログラミングスクールのメンターをしていました。

独立しても全然やっていけるなというのを学べたのはかなり自信に繋がりました。

正社員に戻ることを決めたのは、また組織の中でコミットしていきたい想いが強くなったのと、採用やマネジメントをやってみたいという理由からです。特に後者はフリーランスで行うのが難しいので。

不動産テック企業時代

Rails + ReactでtoB、toCをまたがるプロダクトを開発していました。

Rubyは記法が独特なので慣れるまで時間がかかりましたが、慣れると非常に書きやすくて扱いやすい言語だと思います。

詳細についてはどこかのタイミングで書きます。