Amazonのアソシエイトとして、ひろは適格販売により収入を得ています。
最近、「自分で自分の価値を狭めてしまう」ことの怖さを感じたので、その話をします。
目次
きっかけ
趣味で歌ってみた動画を投稿しています。高校時代からずっと歌うことが好きで、最近ようやく形にし始めました。
1作目を出したとき、想定外の反応がありました。知り合いに聴いてもらったところ、「声の粒感がいいね」という感想をもらったのです。これは自分としては全く意識していなかった部分でした。気にしていたのはどう歌を表現するかであり、粒感なんて考えたこともありませんでした。更にMix師の方からは「音の終わりのニュアンス表現が非常に魅力的」という、また異なるフィードバックをもらいました。
先日、2作目の録音が完了しました。録りながらも、リズムの走り、ピッチの甘さなど気になる部分は沢山ありました。でも1作目の反応を思い返すと、自分が気にしている部分と、聴いた人が評価する部分は必ずしも一致しないんですよね。
自分が思っている自分の価値と、他人から見えている価値にはズレがある。これ自体は当たり前のことかもしれません。しかし、見えていないだけなのに価値がないと判断してしまう可能性があるのは、結構怖いことだなと思います。
同じようなことは他にもあった
この怖さは、歌に限った話ではありませんでした。
例えば麻雀も高校時代からずっと続けています。
雀魂の進捗です pic.twitter.com/Xcf9EsdliF
— ひろ🦐 (@_hiro_dev) January 1, 2026
今年1月時点の雀魂の戦績ですが、四麻東風戦の平均順位が2.20(期待値は2.50)。
三麻東風戦の平均順位が1.93(期待値は2.00)。平均順位は低いほど良いため、数字だけ見ればかなりの水準です。
でも自分の中では「まだまだだ」という感覚の方が強い。押し引きや場況読みの精度に甘さを感じるからです。ただ、その甘さが見えるようになったのは、場数を踏んで目が養われたからです。成長したからこそ弱点が見える。しかし、見えるようになった弱点の方にばかり目がいって、数字が示す事実を自分で上書きしてしまう。
個人開発でも同じことがありました。ツイ消し職人は、自分のツイートを削除したくて作ったものをサービス化して公開しただけです。
既存のツールが全部動かなかったから自作しました。自分にとっては困っていたから作った程度のもので、技術的にすごいことをしたわけでもありません。
でも結果的に累計1,000万円を売り上げました。「こんなの大したことない」と思って公開しなかったら、その1,000万円は得られなかったわけです。
どの分野でも、自分の中の評価と外から見た価値は一致していませんでした。
評価軸を1つにすると、自分の価値を殺してしまう
ここまで書いてきたことを整理すると、結局「評価軸を1つに絞ると、自分の価値を自分で殺してしまう」ということだと思います。
歌はピッチだけで判断すれば、自分より上手い人はいくらでもいます。麻雀は理想に遠く及ばないし、エンジニアとしての技術力だけで比べても、もっとすごい人は沢山いる。1つの軸で自分を測ると、「大したことない」という結論になる。
でも、そうやって切り捨てたとき、声の粒感や音の終わりのニュアンスといった、自分では見えていなかった強みまで一緒に捨てることになります。
見えていない価値は、1つの軸の上にはない
見落としていた価値は、いずれも自分が測っていた軸とは別の場所にありました。
歌のピッチを気にしているとき、声の粒感は視界に入らない。1つの軸を見つめれば見つめるほど、それ以外の部分が死角になります。
そしてこの死角は、分野をまたいだとき、さらに広がります。
ツイ消し職人が生まれたのは、Twitterのヘビーユーザーとしての経験とエンジニアとしての技術が重なったからです。しかし、それだけではサービスにはなりません。命名、値付け、利用規約や特商法表示の整備。何をやるか、何をやらないか。公開して収益を得るまでには、ビジネス面の判断がいくつも必要でした。課題感、技術、そしてそれを事業として成立させる目線。どれか1つでも欠けていたら、あのサービスは生まれていません。価値は「技術力」という単一の軸の上ではなく、複数の経験が交差する地点にありました。
ここで重要なのは、単に「評価軸を増やせばいい」という話ではないということです。技術力、ユーザー経験、ビジネスの判断力。それぞれを個別に評価したところで、どれも飛び抜けているわけではありません。技術力だけならもっとすごいエンジニアはいるし、Twitterのヘビーユーザーなんて世の中に無数にいるし、ビジネス経験ならもっと豊富な人はいくらでもいる。それぞれの軸を個別に見れば「大したことない」という結論は変わらない。しかし、それらが重なったとき、「既存ツールが全部動かない不満を、自分で解決し、サービスとして成立させられる」という、どの軸単体でも測れない固有の価値が生まれた。価値は軸の上ではなく、軸と軸の交差点にあったわけです。
歌についても同じ構造が見えます。エンジニアとして論理的に構造を分析する視点があるからこそ、感覚だけに頼らず改善し続けられている面がある。これは「歌の上手さ」でも「技術力」でもない、両方が重なった地点にある価値です。
軸の外にあるもの、軸と軸の交差点にあるもの。自分の価値を1つの軸で測って「大したことない」と切り捨てるとき、そういった可能性まで一緒に否定することになる。それが一番もったいないと思っています。
じゃあどうするか
声の粒感も、音の終わりのニュアンスも、自分では一生気付けなかったかもしれない。見えていない強みを全部把握してから動こうとするのは無理です。
だからこそ重要なのは、「気付く」ことよりも「殺さない」ことだと思っています。
自分に見えていない価値があるかもしれない。そう思うだけで、少なくとも「大したことないからやめよう」「出す意味がないからやめよう」という判断にブレーキがかかる。見えていない価値は、出さなければ一生見えないままです。出してみて初めて、自分が想定していなかった反応が返ってくる。1作目の歌がそうだったし、ツイ消し職人もそうでした。
「今の自分の評価が全てではない」という前提で動き続ける方が、結果として自分の価値を取りこぼさずに済む。
まとめ
自分の価値を完璧に把握することはできません。見えている範囲は常に一部でしかなく、その外側に何があるかは自分にはわからない。だからこそ、今の自分の評価で全てを決めつけない。「ここが足りない」と気付ける目を持ちつつ、「自分が気付いていない価値もあるかもしれない」という余白を残しておく。見えていない可能性ごと切り捨てないように、自分の価値を自分で狭めないようにしていきたいと思っています。

