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目次
はじめに
「人は何かの犠牲なしに何も得ることはできない。何かを得るためには同等の代価が必要になる。それが錬金術における等価交換の原則だ。」
これは『鋼の錬金術師』の有名なセリフです。私は、この考えは錬金術に限らず、人生全般にも通じると思っています。
もちろん、人生は厳密な意味で等価交換ではありません。運や才能や環境によって、同じものを差し出しても結果は変わります。
それでも、何かを取りに行くには別の何かを見送る必要がある。私は、人生とは「何を取って、何を取らないか」を決め続けることだと思っています。
だから私は、何かを得ている人を見ると、その裏で何を見送ってきたのだろうと考える癖があります。人生のリソースは有限だからです。
人は、得たものは見るが、見送ったものは見ない
何かを得ている人を見るとき、多くの場合、私たちは「得たもの」の方に目を向けます。
例えば、歌が上手い。仕事ができる。お金を持っている。
そういう分かりやすい「得たもの」は見えやすく、評価もしやすいからです。
一方で、その人がそこに至るまでに何を見送ってきたのかは見えにくい。どれだけの時間を使ったのか。どんな選択肢を見送ってきたのか。そういうものは、結果ほど注目されません。
私は、この見えていない側にこそ、その人の人生が出ると思っています。
何を持っているかより、何を見送ってそれを取りに行ったのか。そちらの方が、その人をずっとよく表しているのではないでしょうか。
大谷翔平を見れば、交換の大きさが分かる
大谷翔平が圧倒的な才能の持ち主であることに、異論はないでしょう。
ただ、重要なのは、その才能を結果に変えるために何を差し出してきたかです。
大谷翔平は、1日10時間以上を睡眠に充てています。残りの時間はトレーニング、食事管理、体のケアで埋まります。彼は高校1年の時点からマンダラチャートで生活習慣を細かく設計し、それを10年以上続けてきました。
つまり、普通の人が持っている「自由に使える時間」が、彼の生活にはほとんど存在しません。友人と遊ぶ時間、趣味に使う時間、何もしない時間。そういうものの大部分を、野球と引き換えに見送ってきたわけです。
大谷翔平の話をすると、多くの人は「あれは特別な人だから」と思うかもしれません。確かに、人生の大半を1つのことに注ぎ込めるのは極端な例です。
ただ、構造そのものは同じです。
資格の勉強をしている人は、毎日2時間をそこに使っている。その2時間は、別のことにも使えた時間です。仕事に本気で取り組んでいる人は、その分だけ趣味や余暇が減っているはずです。
大谷翔平と私たちの違いは、交換の有無ではなく、交換の規模です。何かを選ぶということは、別の何かを選ばないということであり、本気であればあるほど、その差は大きくなります。
『HUNTER×HUNTER』という作品に、「制約と誓約」という概念があります。
作中でゴンは、自分の未来を代価として差し出すことで、圧倒的な敵を倒せるだけの力を手にしました。
程度の差はあれ、本気で何かに向き合う人は、自分の時間や選択肢を代価として1つのものを取りに行っています。
私にとっての等価交換
もちろん私も例外ではありません。
歌に4000時間使ってきたこと
例えば、私は歌が好きで、高校生の頃からずっと練習を続けてきました。今までに使った時間は4000時間を超えています。
4000時間あれば、他にも色々なことができたはずです。資格の勉強もできたし、別の趣味を極めることもできたし、もっと仕事に振ることもできたでしょう。
でも、私はその時間を歌に使ってきました。
言い換えれば、歌と引き換えに、他の色々なものを見送ってきたわけです。
当然、自分より上手い人はいくらでもいます。才能がある人もいる。
でもそれはそれとして、自分にとって歌は、それだけ時間を投じる価値があるものだったということです。
そして、歌が上手い人を見るとき、私は単に結果だけを見ていません。その人がそこに辿り着くまでに、どれだけの時間を使い、どれだけ他の可能性を切ってきたのかを想像します。
大きな結果の裏には、大きな偏りがある。
私はそういうふうに物事を見ています。
借金もまた同じ構造であること
私は借金もしています。一般には避けるべきものとされるし、実際、苦労したこともあります。
もちろん、借金を肯定したいわけではありませんし、万人に勧められるものでもありません。
ただ、私にとって重要なのは、借金を善悪だけで見るのではなく、何を優先するかという交換の問題として見ることです。
借金のコストは分かりやすい。一方で、貯金にもコストがあります。
お金を将来に回すということは、その分だけ今できたはずの経験や挑戦を見送るということでもあるからです。
借金にはリスクがある。貯金には機会コストがある。
どちらが正しいかではなく、何を優先するかの違いだと私は思っています。
私は、将来の余白をある程度削ってでも、今の自分がやりたいことに張る方を選んでいます。
不安定さは増える。それでも、これは私が自分で選んだ交換です。
大学卒業を手放したこと
私は最近、放送大学に入りました。当初は卒業するつもりでした。学び直しには意味があると思っていたし、学位を取ること自体にも一定の価値はあると考えていたからです。
ただ、実際にやってみると、働きながら課題をこなしていくのは想像以上に大変でした。卒業しようと思えば続けること自体はできたと思います。でも、そのためには可処分時間をかなり削る必要がありました。
その時間でできることは他にも沢山あります。歌の練習もできるし、仕事もできるし、プロダクト開発もできる。
つまり、大学卒業を取りにいくということは、それらを見送るということでもあります。
私はその交換を考えた結果、大学卒業を諦めることにしました。
続けることが常に正しいわけではありません。
何かを続けるということは、その間ずっと別の何かを見送り続けるということでもあります。
だから、やめることもまた1つの決断です。
若い時の経験は、後から大きく効いてくる
その上で、私が重要だと思っているのは、交換のタイミングです。
同じ経験でも、20歳のときに初めてするのと、30歳のときに初めてするのとでは意味が違います。30歳と60歳なら、なおさら違うでしょう。
体力、感受性、吸収力、失敗できる余地、その後の人生に与える波及効果。どれを取っても同じではありません。
若い時に積んだ経験は、その場で終わらず、後の人生に複利で効いてきます。
新しい価値観に触れる。得意不得意が分かる。興味の方向が定まる。次の挑戦に繋がる。そういう性質があるからです。
実際、私自身も、若い頃にイベントやライブに何度も足を運んできたことが、今の価値観や表現への憧れに確実に繋がっています。
当時はただ楽しくて行っていただけでしたが、後から振り返ると、あの時期にしか受け取れなかった熱量や感受性があったと思います。
だから私は、若い時にしか取りに行けない経験があると思っています。
深い投資は、別の領域で効いてくる
ここまで「何かを取るには何かを見送る」という話をしてきました。その上で、一度深く取りに行ったものは、想定していなかった別の領域で効いてくることがあります。
例えば、私がエンジニアとして身につけた「構造を分析して問題を切り分ける」という思考は、歌の改善にそのまま活きています。歌とエンジニアリングは一見無関係ですが、深く積み上げたものは、領域を越えて使えるようになる。
ただし、これは結果論です。投資した時点では、それがどこで効いてくるかは分かりません。
だからこそ、何に深く張るかは、結局自分で引き受けて決めるしかないのだと思っています。
私は、こう決めて生きている
人生では、何も見送らずに何かを得ることはできません。
だったら、自分が何に賭けるのかは自分で決めるしかない。
私は、若いうちは、ある程度のリスクを取ってでも経験やスキルに張ると決めています。
安全を積み上げることより、自分らしく生きるための土台を作ることを優先したいからです。
この選択が正しかったかどうかは、正直まだ分かりません。
ただ、これは自分で決めた交換です。何を見送り、何を取りに行くのかを自分で選んでここまで来ました。
だから、少なくとも他人のせいにはできません。そして、それでいいと思っています。
あなたは、自分の人生で何を取りに行きますか。
そして、そのために何を見送りますか。
